9、2013年、人生のどん底

私が25才の時、高知県から香川県へ父の会社を継ぐ為、移住しないといけない時の話です。

夫婦で一つ問題がありました。

それは私が小学4年くらいの時、夫婦で喧嘩が絶えなかった時があったんです。

まぁよく喧嘩してましたよ。本当に。理由は伏せておきますが。結局物心ついた時から少なくても中学1年くらいまで続いてたんじゃないですかね。

ある時、毎日毎日の夫婦喧嘩が母ちゃんはいやだったのでしょうね。

父の会社の事務を辞め、「アメリカのビジネス」なるものを始めたんですね。

化粧品やら洗剤やらを売っていくと結果を出せば年収と位が上がっていくという。

位を落とすとその業界で幅をきかせられなくなるという、まさに

「承認欲求地獄」

に巻き込まれるビジネスだと自分は感じています。

そのビジネスで母ちゃんは2年で結構難易度高い位についちゃったんです。

この頃から少しづつ「成功」という響きが家族内で少しづつ聞こえてきます。

その、昔から母ちゃんがしているビジネスを当時の嫁さんにも進めてくるからどうしたものか。という議題です。

結果からいうと、母の勢いに当然嫁は負け、私は父の下、嫁は母の下で仕事、ビジネスでも切っても切れない関係になっていきました。

「成功」とか「結果」っていうことが、身内全体に意識があって、結局妹も母ちゃんのビジネスに巻き込まれるのです。

いつしか、私は父に、嫁は母に洗脳されていたくらいのレベルでYES、NOはほぼ両親が決めていたに近かったかもしれません。

嫁は、

「それはお母さんがダメというだろうから・・・」

「お父さんの言う通りにしていればそれでいいんや」

っていう反応も多くなってきたと思います。。

自分たちの子育てにも影響がでてきて、お小遣い制にしてお金の大事さを教えようとして月末に年の数で9才なら900円って決めて渡し、

使うお金と残すお金の区別を教えようとしても、父から500円玉を両手いっぱい渡してしまったりするので、

「パパとママはお金なくて、じいじとばあばはお金持ってる」

と無し崩しになるといった始末。

母は人前で「夢を見さすビジネス」なので裕福さを他人に見せようとし続け、高級車や服、アクセサリーへの散財はすごかった印象が強いです。

ご近所もいきなり赤ベンツが家の前にあるのでさぞびっくりされたことでしょう。

「若いときは体重40キロでおとなしい性格だった」

が口癖な母ちゃんは、とにかく派手でパワフルな60キロ超えの成功者?でしたね。

ともあれ、家族同族経営って、両親の言った通りになって自分たちの親としての権利も崩壊していくのです。

「自分は仕事場でも家でも実家でも尊厳なんてないなぁ」

と段々自信は無くなり、孤独感は一層高まりましたね。仕事のYES、NOは父親の価値観でしたからね。

なんせ「心意気」と「美学」ですから。

父と母は。私と嫁。父と私。母と嫁。母と嫁と妹。今思い出してもややこしい。

一家全体「成功」を目指して、「結果」出そうと、知らず知らずしてに「権利」を目指し、「見栄」を蓄え、「散財」し、「失敗」した家族の物語です。

会社を辞めろと言われ、嫁に独立したいと相談しましたが、もう成功への道をあきらめられないのか、

嫁は、

「雇われとか会社とか働くのはもう窮屈でイヤ!」とのこと。

自分は、

「マルチビジネスなんか成功者は一部や!絶対長続きしない!」と反論。

すると嫁は、

「私は結果を出しとるやん!」

自分は、

「月に5万だったり、20万だったり不安定で、商品を前借して負担するのが結果か!」

と一台12~3万する商品が家に在庫で4個も5個もありました。

自分の嫁も「承認欲求地獄」に洗脳されてました。

皆さん!ビジネスには気をつけましょうね!

嫁との話は平行線ですが、もう家族、仕事間の色々が複雑になっていて、その色々が手遅れなのは頭の片隅には前から分かっていて認めていなかったんだと思います。

嫁も自分も「自立」ができず、怖がってたんだと思います。

結局、父と母の力、影響力が無ければ自力で生活できないんじゃないかと頭ではわかってたですよね。

そして2013年11月に私は別居を決意し、のちに離婚となり、2年後会社は無くなりました。

色々考えたあげく、全部を無くして起業を選ぶしか私に道はありませんでした。

2代目としてメーカーへ修行に行った未来がまさかこんなことになるとは・・・。

今も忘れない、全てを無くし、人生がどん底になった2013年でした。

 

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